『蝦夷異事三』P49以降の
「辰(文化5年)正月五日仙台家より御届」で、蝦夷警固のための大量の物品が挙げられています。
それらを、出兵の一行が人力と傳馬で運ぶことはできそうにありません。
船でも運んだのではないかと思っていたのですが、なかなか根拠を見つけることができないでいました。
その根拠を『千島白浪』(北海道文書館蔵・道庁印)に見つけました。
「莫右之事之候由へ当御城下は兵具大筒等は不残塩釜浦より
元船三艘ニ而、津軽迄廻船之事故、格別手都合宜御坐候
大筒兵具等廻船之人数
船奉行 千石 天野典膳
鉄炮頭 弐百石 真野半左衛門
同 百五拾石 石場玄蕃
目付 百石 佐藤由右衛門
右江足軽百人三艘引分り指添
正月十六日塩釜浦ゟ出船いたし候」
大筒や兵具など重たいものは、船三艘で
塩釜浦より津軽迄運んでいることが確認できます。
仙台藩は、エトロフ、クナシリ、箱館の3か所に出兵していますが、
いずれも、下北半島佐井湊から箱館に船で渡り、
エトロフ、クナシリへも、箱館から船で渡っています。
上記記載は、津軽迄ですが、その後も船を使っています。
また、『高屋養庵による仙台藩クナシリ島警護記録』(国立国会図書館デジタルライブラリー)の中で、
蝦夷地警固に出発する前の周知事項に、荷札についての説明があります。
荷札をこのように書くようにという指示です。
旅行中必要のない荷物は、荷札を付けて別送していたことが推定されます。
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